令和2年7月5日(発災翌日)

「片付けだけで三年かかる」「会社の再興なんてできるはずがない」と完全に諦めていました。しかし、翌日、十数件の球磨焼酎の蔵元仲間が集まって、自宅の泥まみれの家財道具をすべて運び出してくれました。ほんの少しだけ復興への光が見えた一日でした。

発災から2週間

7月4日の発災後もずっと雨が降り続けました。またいつ球磨川が氾濫するかもしれない。そんな恐怖心から、2週間避難所で寝泊まり。朝から夕方まで雨に降られながら蔵や自宅の片付け作業という日が続きました。
激しく降り続く雨、蒸し暑さの中、蔵の片づけはとても苦しいものでした。初めは、タンクや機械、資材などが散乱して足の踏み場もありません。泥が靴底にまとわりついて歩けない状態。そのような中、まず大きなタンクや機械を運び出し、泥をかき出しました。そして、ダメになった商品や資材を処分し、商品として提供できそうなボトルをボランティアの方に丁寧に洗っていただきました。
事務所では散乱した泥まみれの書類から必要なものを探し出し、そうでないものは片端から捨てました。書棚の本は泥水を吸って膨張し、取り出すのが非常に困難でした。醸造技術に関する本、焼酎の歴史に関する資料、人から頂いた大切な全集本などすべて捨てました。それは自分の脳みその一部のようなものでした。
復興への作業は、駆け付けてくれた友人知人、取引先などのボランティアの皆様の力添えがあったからこそ実行できました。のべ数百名になる人の力は素晴らしいものです。自分たちだけでは間違いなく心が折れていました。丁寧な激励のお手紙を送って頂いた方もいらっしゃいました。義援金をみんなに募って集め、届けていただいた方もいらっしゃいました。

令和2年7月20日:天候が回復。蔵に虹。次は暑さとの闘い。

発災以来ほぼ毎日雨が降り続き、雨音に慄(おのの)きながら片付け作業を続けてきましが、この日の夕方、久しぶりに晴れ間が現れ、蔵に虹がかかりました。
一瞬、会社に明るい未来が開けたような気分になれました。
この日を境に天気が回復していき、次は猛暑と闘いながら復旧作業に当たることになっていきました。
(気象庁によるとこの年の梅雨明けは7月28日。1957年以来63年ぶりの遅い梅雨明けでした。)

令和2年8月3日(発災1か月):仕込みタンク、屋外タンクの復旧工事

この時期、専門の業者の方に入ってもらって大きなタンクを移動。元の場所に戻すことができました。

令和2年8月11日:被災商品の販売開始

タンクの中の原酒は8割近くがダメになりましたが、ボトリングされた焼酎の多くは中身に影響がないようでした。そこで、ボランティアの方に外の泥をきれいに洗い流してもらい、消毒して、キャップを付け替えて商品としてお客様に買っていただくことにしました。温かい心で全国の多くの方に購入していただき、収入が絶たれたかと思われた会社に売り上げがもたらされとても前向きな気持ちになれました。瓶を洗う奉仕作業をやっていただく方がいたからこそできたことです。心から感謝いたします。

令和2年8月31日:クラウドファンディング受付開始

災害時緊急支援プラットフォーム(PEAD)の皆さんの強い後押しがあり、復興資金調達のためのクラウドファンディングを始めました。当社として初めての取り組みでわからないことばかりでしたがPEADの皆さんのおかげで形を整えることができました。
全国の多くの皆さんから、ご支援、メッセージを送っていただき、前に進むための力と勇気をいただきました。
返礼品としたのは、豪雨災害の中、タンク(甕)の中で奇跡的に生き残った梅酒や焼酎。それぞれ商品名を「ここに生きる」「川の神」としました。

令和2年9月:麹室復旧工事完了

まず復旧すべきは焼酎造りの心臓部である麹室。そんな思いで、麹室の改修工事を8月から進め、9月に完成しました。
明治から受け継ぐ石造りの麹室。壁や床の石の躯体はそのままに、内部の天、壁、棚などを新たに施工しました。この部分は従来栗の木でできており、同じ素材で改修したかったのですが、栗材の入手が困難とのことで檜材を使用することになりました。
とはいえ、豪雨災害前と全く同じ形に麹室がよみがえり、焼酎製造再開に向けて大きな一歩となりました。

令和2年10月3日:タンクに生き残った焼酎を瓶詰め

瓶詰ラインは完全水没していたため、まったく使用不能となっていました。これを全面的に分解、修理。内部の部品の大半を総入れ替えしてようやく稼働できるようになりました。

令和2年8月末~9月:製造場の徹底洗浄

原酒を早く造りたい。そう考えて麹室の次は製造場を整えました。
壁や梁には細かい泥が奥深く入り込み清掃は困難でしたが、ボランティアで集まってくれた仲間に何度も何度も磨いてもらいようやくきれいになりました。

令和2年11月26日:豪雨災害後初 仕込みの再開

麹室と製造場の整備に集中し、ようやく焼酎が造れるようになりました。

令和2年12月:泥にまみれた甕を洗浄

仕込みができるようになったとはいえ、泥にまみれた甕やタンクはたくさん残っており、仕込み作業と並行してこれらの洗浄作業を行っていきました。

令和3年3月16日:豪雨災害後に仕込んだ焼酎の初の瓶詰め

令和3年5月~10月:貯蔵倉庫の改修工事

初夏、仕込み作業を中断し、貯蔵タンクを納めている倉庫の改修工事に着手しました。
まず、まだ泥汚れの残っているタンクをすべて屋外に運び出し、倉庫内の床や壁を修理。
天井にはホイストクレーンを設置しました。これは中二階の物置に道具を上げるために新設たものです。水害前はフォークリフトを使っていましたが、これは水害に非常に弱いために天井設置のクレーンに変更しました。
外に運び出したタンクは傷の補修をして塗装し、その後、倉庫内に搬入しました。

令和4年1月:自然発酵玄米焼酎「球磨川」の仕込み開始

前年(令和3年)2月に黒麹での自然発酵玄米焼酎の仕込み(二次仕込み法)を試験的に行いましたが思うような結果が得られませんでした。そこで、本格製造に当たっては、黄麹を利用して、より自然な発酵を促せるような仕込み(どんぶり仕込み)に取り組むことになりました。

令和4年5月:蔵全体の建物改修工事に着工

事務所、製造場など建物本体の本格的な改修工事がはじまりました。

令和4年7月4日(発災から2年):新商品「球磨川」発売

令和5年3月30日(発災から1000日):製造場・事務所が完全復活

令和4年12月末までに施設、設備の復旧工事がほぼ完了。それから引っ越し作業、準備期間を経てこの日リニューアルオープンを果たしました。災害前と同様の焼酎造り、事務処理ができるようになり、さらに魅力的な蔵見学(ガイドツアー)ができるようになりました。
復旧工事に当たっては、令和2年と同等の水害はまた起こると想定し、被害を最小限に抑え、復旧を最速でできるよう工夫を凝らしました。

令和6年4月:代表と杜氏の自宅改修工事完了

代表下田の自宅は被災したままの状態で長く会社の事務所として使用してきたため改修工事を後回しにしていました。蔵が再生し、事務所機能をもとの場所に戻した後、令和6年1月からようやく改修工事にとりかかり、同年4月に完了しました。