山深い人吉球磨地方には山童(やまわろ)の伝承が残っています。それは秋に山に入って山ん太郎となり、春に川に降りて川ん太郎となると言われています。
人々にいたずらをすることもあるのですが、人々を助けてくれることもある。
球磨川に棲む川の守り神のような存在です。川で不思議なことが起こるとそれは川ん太郎のせいだと人は考えてきました。
球磨川の氾濫
令和2年、球磨川が氾濫。大洪水が街を襲い、大和一酒造元は深さ3mの濁流にのまれました。タンクの一部は浮き上がって横転し、貯蔵していた原酒が流れ出し、別のタンクには泥水が混入し中の焼酎が商品にならなくなりました。陶器の甕は粉々に割れてしまったものもあります。貯蔵していた原酒の8割近くがダメになってしまいました。そんな中ある甕は地面から浮き上って大きく移動しているにもかかわらず倒れることなくしっかり直立していました。その甕の中の焼酎は人吉球磨産の米で造った玄米焼酎でした。
この生き残った焼酎を返礼品として蔵再建のためのクラウドファンディングをすることになりました。災害時緊急支援プラットフォーム(PEAD)というボランティア団体のみなさんのサポートにより実現したことです。私たちはこの焼酎に「川の神」と名付けました。自然への畏れと感謝の思いを込めたものでした。
この玄米焼酎「川の神」のおかげもあって、全国のたくさんの方に資金援助を受けることができ、蔵は復活することができました。
豪雨災害後、昼間災害の片付け作業をし、夜は避難所で寝泊まりするという生活をしばらくの間続けていました。朝、会社に出てくると必ずそこに誰かがいました。古い友人や得意先の酒販店の方、球磨焼酎蔵元仲間など片付けのボランティアとして集まってくれた方々です。私たちにはとても神々しく見えました。皆さんの助けがなければ私たちは一歩も前に進むことができなかっただろうと思います。
豪雨災害から4年目、「川の神」の名で新たに玄米焼酎を世に送り出すことにしました。災害から学んだ教訓、思いをいつまでも胸に刻み込んでおきたいと考えたからです。
玄米焼酎造り
大和一酒造元では2012年頃から玄米焼酎造りに取り組んできました。文献によれば、明治の終わり、今から100年ほど前までは球磨焼酎はすべて玄米で造られていたそうです。当時の球磨焼酎は甘みが強く、滋味に富み、地域の内外から高く評価されていました。ただ、生産効率が悪かったために玄米は次第に使われなくなり、今では玄米焼酎を造る蔵元は数えるほどしかありません。かたい膜に覆われた玄米に麹を育てるのは難しく、また醪(もろみ)の段階でも溶けにくいため、玄米の原料処理や蒸し具合、温度管理はどうあるべきか、試行錯誤を繰り返しました。ようやくその答えが見え始めた2020年豪雨災害に見舞われてしまいました。
私たちは蔵の再建に取り組みながら、あらためて玄米焼酎造りに挑戦しました。
第一の挑戦は、最も伝統的な球磨焼酎造りの再現です。100年前と同じ仕込み配合で自然酵母だけで造り上げる玄米焼酎。
第二の挑戦は、現代的な飲み方にも適応する玄米焼酎の開発です。現在、焼酎は炭酸等で割るなどしてサラリと軽快にのまれる傾向にあります。50年前、100年前とは違う楽しみ方です。このような飲み方でもなお玄米由来の香ばしい香りや深くやさしい味わいが心地良く楽しめるような焼酎を探求しました。
これにはバランスが大切です。500年前から使われている黄麹と約70年前から使われている白麹、それぞれの玄米焼酎のブレンド。また、すっきりとした現代的な減圧蒸留焼酎と伝統的でしっかりした味わいの常圧蒸留焼酎のブレンド。このようなブレンド技術によってどなたにも飲みやすくしかも味わい深い玄米焼酎を造り上げました。